<最後のお別れ>大きな二重まぶたがかわいい96歳おばあちゃん

Uncategorized

こんにちは、だんごママです。

パートとして特別養護老人ホームで働いています。

いつもおじいちゃんおばあちゃんには元気をもらっています。

家ではガミガミイライラのだんごママですが、老人ホームではいつもゆったりまったり働けています。家でもこんなママでいられたらと思いますが、なかなかそうもいきません(-_-;)

今回は、二重まぶたの大きな目がチャームポイントのかわいいおばあちゃんの最期です。

ひ孫が生まれて、家族みんなに見守られながらの最期でした。

このおばあちゃんは、96歳。昭和2年生まれ。歩くことはできませんが、車いすに乗り、足を動かしてフロア中を自走していました。

入浴時はいつも寒がっていました。お風呂場を温めてからの入浴ですが、介助用のお風呂場は広くて、なかなか家のようには温まりません。

「寒いよ」と言いながら湯船のお湯をためると、いつもほっこりしてくれました。

お風呂場ではゆっくり職員とおばあちゃん二人だけの会話が楽しめます。

年相応の認知症は持っていますが、家の近くにあった車屋さんのフェイスタオルを見せると、

「近所だったんだ」と教えてくれます。

好きな食べ物は何?と聞くと、

「チョコレート、バナナ。甘いものだな」

と今すぐにでも欲しいという顔をして、私の顔を覗いていました。

髪を乾かし、いつもの言葉をかけます。

「今日も可愛いね♡よろしく」

「ありがと、よろしくね」

と高い声を振り絞って答えてくれます。

赤いパンツがお気に入り

昭和2年生まれ、96歳のおばあちゃん。リハビリパンツが苦手でした。数ヶ月前までは、真っ赤な布パンツを履いていたんです!

でも、失禁してしまうことが多くなったので、リハビリパンツになったんです。

でもリハビリパンツを履いてベットに寝ると、上手にベッド上でリハビリパンツを破り脱ぎ捨てていました!するとベッドの上で失禁してしまうことも、、

全身濡れてしまうので、

「寒いな」と言うおばあちゃんを急いで起こしてお着替えして、、の繰り返しの毎日でした。

コロナ禍でおばあちゃんとのお別れ

このおばあちゃん、息子さんや娘さんのお名前をしっかり覚えていました。

いつもの振り絞った高い声で、名前を思い出しては言ってくれました。

コロナ禍となってから、老人ホームへの出入りが難しく面会謝絶の期間が続きました。

ようやく、仕切りをつけての面会の予約が入った頃、おばあちゃんの容態が悪くなりました。

「かったるいんだ」

とよく言うようになり、喘息がひどくなり、息をするのもやっととなり、入院することに。

病院でもなかなか回復することは難しく、最近生まれたという玄孫さんなど、みんなに見守られてさよならを告げての最期となったようです。

二重まぶたの大きな目のおばあちゃん。顔はしわくちゃだったけど、背中は透き通るように白くキレイなお肌をしていました。天国では大好きな甘いものが食べられているかな?

ご冥福をお祈りしています。

老人ホームに会いに来て

一昔前は、老衰で亡くなるとき、家の中におばあちゃんの部屋があって、住み慣れた家で最期を迎えるという感じでした。老人ホームに家族を預けるというと驚かれたりする時代でしたが、今では変わりました。

高齢者自身も、家族に迷惑をかけずに最期を迎えたいという方が多い中、その人生の最期を迎える場所を老人ホームに決める方が増えています。

ただ、ここ4年は老人ホームにおじいちゃんおばあちゃんを預けたまま、会いに行けずにいるご家族の方々がいます。コロナ渦の中、面会ができずにいたと思いますが、高齢者の「数年」は、見た目も体の調子もすっかり変わっていることが多いです。小さな子供の成長のように、高齢者たちもどんどん衰えています。時間は止まらないですね。

息子、娘のことを忘れているかもしれないおじいちゃん、おばあちゃんが老人ホームにいるご家族の方は、ぜひ老人ホームに会いに行ってください。

面会時は、すっかりボケている父母にショックを受けることもあると思います。でも、その父母の頭の中どこか隅っこで何かが反応しているはずです。

コメント

タイトルとURLをコピーしました