<最後のお別れ>大正生まれ、100歳おばあちゃん「家は大丈夫かな」と呟き入院へ

出会いと別れの介護日記

100歳のおばあちゃんは、大正10年(1921年)生まれ。

普段はベッドで横になって過ごすことの多い100歳おばあちゃん。

だんご三兄弟ママ、この老人ホームに来た時驚きました。

・ケープで身だしなみを整える!

・車いすで自走できる!

・My塩を持って食堂へ。塩をかけてご飯を食べる!

生活していくには普通のことですが、100歳のおばあちゃんにとっては大変なことなのです。90代ともなり認知症がすすむと、このおばあちゃんのように自ら身だしなみを整えるおばあちゃんはあまりいません。

<ケープで身だしなみを整える>

ベッドから車いすへの移乗は、介護スタッフが全部お手伝いします。

その後、お気に入りのヒョウ柄のひざ掛けと、ニット帽を被り、My塩を忍ばせます。

鏡台の前に移動すると、

整髪剤ケープで髪を整えます!それもハードケープ。

顔がとっても小さくて笑顔の素敵なおばあちゃん。

整えることは整えるけど、鏡を見て髪型が決まらず気に食わないと自分の頭をポンポン!

苦い顔をして自虐します(笑)

でもずっと続けてきた習慣なんだなと思うと微笑ましくその様子を見つめます。

<車いすで自走>

居室から食堂までの距離は10mくらいでしょうか。

せっせと車いすで移動します。

「おばあちゃんなんだから、手伝ってあげたら?」

って思いますよね。

でも、それぞれおじいちゃんおばあちゃん達には、短期目標と長期目標を立てて生活しているんです!

入った当初は気づきませんでしたが、「情報収集し課題を見つけ、目標を立てて、それを観察・評価する」という介護過程というものが、利用者一人一人にあるのです。

この100歳おばあちゃんは、この自走も短期目標!手伝ったら、おばあちゃんのためになりません!

<塩をかけてご飯を食べる>

100歳おばあちゃんは、MY塩ビンを持っています。

毎食、この塩をご飯やおかずにかけて食べます。

「塩のかけすぎでは?」という心配もありますが、ご家族の方によると

「残りの人生自由に好きなものを食べてほしい。濃い味つけが大好きだからもう制限しないで良いです」とのことなんです。

よく見ていないと、バナナにもかけちゃうので注意です!(笑)

このおばあちゃん。認知症はありませんでした。

体はよぼよぼ、顔はしわくちゃ、足は動かないけど、頭はクリアでした。

月に一度、塩のビンとハードケープを届けてくれる息子さんとのひと時をいつも楽しみにしていました。コロナの中、直接会うことはできませんが、玄関のガラス扉越しに電話で息子さんとお話する姿が印象的でした。そういう時は必ず、「せがれに会いたい」と言って玄関に向かっていました。

100年生きた証を全身で表現しているようなおばあちゃんです。

自分で鏡を見て、顔がしわくちゃで髪型も決まらない・・・頭をポカンと自分でたたく姿が印象的でした。でも10年前までは、シルバーカーを巧みに使い、ご自身でトイレに向かう姿が見られ、頑固なおばあちゃんだったそうです。人間は徐々に変化していくんですね。

変わらぬ日常を送っているように見えて、時は過ぎていくのです。

こんな感じの愉快なおばあちゃん、101歳になった令和4年に亡くなりました。

誕生月の前後で亡くなる方多いんですって。

だんだん、食べる食事量が減ってきて・・・

大好きな塩もかけなくなり・・・

車いすの自走もほとんどできなくなり・・・

ベッドに横になりながら、深く苦しそうな呼吸をしながら

救急搬送される前、ふと口にしていた言葉があります。

「私の家は大丈夫?」と。

救急搬送され、1週間の入院後、ご家族に見守られる中で亡くなったそうです。

<老人ホームのご家族に会いに来て>

コロナ禍で面会も玄関のガラス越し。外出もできない。

そんなおじいちゃんおばあちゃんが沢山います。

入院中も、息子さんと色々お話できたでしょうか。

時々、老人ホームで暮らすおじいちゃん、おばあちゃんの寿命が分かればいいのにと思うことがあります。

そうすれば、最後の1か月、1週間、1日でも慣れ親しんだ大切な我が家でゆっくり眠ることができるのに。それができないから、特別養護老人ホームがあるんですね。

これからも、ご家族様からの愛をおじいちゃんおばあちゃんに伝えられる介護をしていきたいと思います。

ご冥福をお祈りしています。

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